俳優で歌手のショーケンこと萩原健一さんが死去。その死因は?彼の愛した女性たちとは?

俳優で歌手の萩原健一(本名・萩原敬三)さんが
3月26日午前10時30分、消化管間質腫瘍(GIST)のため
東京都内の病院で死去したこと所属事務所が28日に発表。
68歳だった。

死因のGIST(消化管間質腫瘍)とは?

GIST(ジスト)は、消化管間質腫瘍を示す英語
Gastrointestinal Stromal Tumorの略称です。

GISTは、胃や小腸(大腸、食道はまれ)など、
消化管の壁にできる転移、再発を起こす悪性腫瘍の
一種(肉腫)で、粘膜から発生する胃がんや
大腸がんとは異なる性質を示します。

GISTは、粘膜の下に腫瘤(しゅりゅう:こぶ、かたまり)
状の病変を形成する粘膜下腫瘍の1つです。
消化管壁の筋肉の間にある神経叢(しんけいそう)に
局在する「カハールの介在細胞(Interstitial Cells of Cajal)」
に分化する細胞から発生し、

「カハールの介在細胞」自体は、広く消化管に分布し、
消化管運動のリズムをつくったり、調節したりする
大切な細胞とのこと。

自覚症状が少ない腫瘍ですが、
腹痛や腫瘍からの出血による下血、
貧血などの症状があらわれることがあり、

切除することが可能な場合は手術を行い、
完全切除できたと思われる場合でも、
手術を行った後に肝臓や腹膜への転移を
起こすこともあるようです。





病院で治療されるGISTの発生頻度は、
10万人に1~2人と少なく、
希少がんの1つに位置付けられ、

日本では、発生部位として胃の割合が70%と高く、
次いで小腸20%、大腸および食道が5%となっているようです。

日本人を対象とした研究結果では、
がん予防には禁煙、節度のある飲酒、
バランスのよい食事、身体活動、適正な体形、
感染予防が効果的と言われているようです。
~国立がんセンター がん情報サービスより一部抜粋~

所属事務所の話では、萩原さんは11年から、
GIST(消化管間質腫瘍)を患っており、
闘病されていた模様です。

理加夫人(モデルの冨田リカさん)のコメント全文は以下の通り。

生前に、お世話になりました仕事関係の皆様、
ファンの皆様に、心よりお礼申し上げます。

これまで、本人の強い意向により、
病のことは公表せずに参りました。

最後は、とても穏やかで安らかに、
ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました。
今はまだ、心の整理がついておりませんので、
皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます。

萩原理加(原文まま)

萩原健一プロフィール

本名  :萩原 敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日:1950年7月26日
出身地 :埼玉県北足立郡与野町
血液型 :O型
身長  :174cm
学歴  :私立聖橋高校中退

17歳だった1967年、
ザ・テンプターズ「忘れ得ぬ君」でデビュー。

萩原健一出演作品

テレビドラマ

『太陽にほえろ!』
『傷だらけの天使』
『前略おふくろ様』
『祭ばやしが聞こえる』
『豆腐屋直次郎の裏の顔』
『琉球の風』
『課長サンの厄年』
『外科医柊又三郎』
『冠婚葬祭部長』
『元禄繚乱』

映画

『八つ墓村』
『影武者』
『誘拐報道』
『恋文』
『激動の1750日』
『居酒屋ゆうれい』

萩原健一の愛した女性たちとは?

最初の結婚は、1975年にモデルの
小泉一十三(こいずみひとみ)さんと結婚しています。
子供は娘を1人授かりきますが、3年で離婚。

1980年に女優 いしだあゆみさんと結婚します。
しかし、4年後の1984年に離婚発表。
入籍については、萩原は2008年に自叙伝『ショーケン』の
なかで、未入籍で事実婚の状態であった旨を告白している。

しかし、『週刊新潮』2008年4月3日号では
『「ショーケン自伝」いしだあゆみと「未入籍」はウソだった』
と記事で報じている。
~wikiより一部抜粋~

1985年に映画「恋文」で共演した倍賞美津子さんと交際。
倍賞美津子さんは、当時アントニオ猪木さんと結婚して
いましたが、1987年に離婚。

その後、萩原健一さんと倍賞美津子さんは、
長きにわたって事実婚状態を続けていた模様です。

1996年にヘアメメイクを担当していた女性と結婚します。
しかし2006年には離婚。

そして、2011年2月に冨田リカさんと結婚。
2009年に女性誌の対談が出会いとのこと。
もともと、冨田リカさんが萩原健一さんのファンで、
対談を熱望されたようですね。

萩原健一さんへのお悔みのコメント

今回の萩原健一さんの訃報は、
ファンの方たちも本当に残念に思われていましたので、
その一部を抜粋させて頂きます。
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ここから

傷だらけの天使を超えるドラマなんて無いんじゃないかと思う。
歌も「愚か者」なんかマッチの100倍カッコ良くしびれた!
惜しいなあ。

最近のラグビーのドラマも見てました。
綱吉役不気味で怖かったです。
GOEMONの時セリフを脚本通りに
やりたいと言ってて
個人的に自分も同じ気持ちだったんで
嬉しかったです。

前略おふくろ様、面白かったな。
私生活は波乱万丈みたいだったけど、最後まで
見送ってくれる人がいるのは幸せだと思う。

太陽にほえろ!の新人刑事の殉職を考えたのがショーケンだった。
これがもし無かったらあんなに長い間続かなかったろうな。
そして松田優作氏も出てこなかったかもしれない。お疲れ様でした。

グループサウンズ・テンプターズのボーカルで歌って
いた時を思い出したよ。
歌手としても俳優としても個性的な人であった。
私が中学生の頃よく追っかけをしていた同級生の女子が
たくさんいたことを覚えている。ご冥福を祈ります。
ショーケンの存在感あふれる演技はすごかった。





「利家とまつ」で演じた明智光秀が今も心に残っています。
本能寺に攻め込む前の口上は鬼気迫る怪演でした。
ショーケンはまさに天才肌の役者さんだったと思います。
こんな凄いオーラを放つ役者さんはもういなくなりましたね。
まだまだ活躍して欲しかったのに・・・
早すぎますよ・・・

萩原さん、ショーケンさん、さようなら。ありがとうございます。
特に80年代前半は、歌にスキャンダルにと全盛期でした。
ミックジャガーより好きでした。ここ最近、急に白髪が多く、
心配しておりましたが、ついに、さよなら、の時がきました。
優作さんより、30年も長く生きましたね。

萩原さんは、かなり悪い事して自滅状態になったけど
萩原さんを超える同世代の俳優なんて居ないし
只々カンペ丸読みしてるだけの萩原さんと同世代の
大根俳優がかなりツケあがっていたので
萩原さんにもうひと頑張りしてもう一回ドラマや映画で、
一山当ててくれる事を期待してたのでホント残念です。

私は・・・萩原さんが作務衣を着て瀬戸内さんのところで
お世話になっていたときの姿が印象に残ってます。
とても前向きな方だと思いました。

その後のことは知りませんが、
きっとそのように生きてこられたのだと思います。

ムッシュ、内田裕也と、つぎはいきなりショーケンですか。
残念です。いつだったか、「太陽」同窓会番組で、
ゴリさんや殿下と結構仲よさそうにしてたのに。
ジュリーを撃ち殺して泣きじゃくってたマカロニが忘れられません。
水谷豊をドラム缶に入れてリヤカーで夢の島を走っていた
修も忘れられません。かっこよかったな。有難うございました。

傷だらけの天使がバイブルです。
曲がりくねった道を行く彼の生き様が好きでした。
真っ直ぐに生きられない自分には、
滲むような彼の歌声が心に沁みるのです。
安らかに‥眠れ。

相棒で右京さんと共演してもらいたかった。

エメラルドの伝説以来の大ファンでした。
声が独特でハマってしまった、
逮捕離婚の多い人でしたが、不思議と魅力的な人でした。
ご冥福をお祈りします。

まさに青春ど真ん中の人でした。
やんちゃ坊主がそのまま大人になり、
社会の常識に囚われず警察のお世話になる事もありました。
でもどこか憎めず、歌に演技に他の人には真似出来ない
天性の才能を感じていました。

映画『竜二』の挿入歌だった名曲『ララバイ』、
ライブで聴いた『シャララ』そして『テンダーナイト』。
忘れられない曲は数あれど、今夜は
『58年9月、お世話になりました』を聴きながら休みます。
長い間本当に有難う御座いました。
そして、どうか安らかにお眠り下さい。

GS時代、山さんゴリさんの同僚時代、
水谷豊のアニキ時代。ずっと見ていたのでショックだ。
昨年のラグビードラマもシブい存在感があった。
最期までカッコ良かったです。合掌

あなたが歌う 大坂で生まれた女 が一番好きでした。

B’zのlove me,I love you主題歌の
ドラマ外科医柊又三郎は当時かなり流行った記憶が
あります。萩原さんが主役にでした。
僕が萩原さんとB’zを好きになったきっかけを作って

くれてありがとうございました。

ここまで
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まだまだ沢山のコメントがありましたが、
こんなにも沢山のファンの方たちに
愛されていたことが分かりますね。

さいごに

交通事故・逮捕・離婚など
破天荒な人生を送られてきた
ショーケンこと萩原健一さん。

天国では、どうか安らかにお休みください。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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